2月24日(火)
ルティエールでリカルド・ガジェンにレッスンを受け、F・da・ミラーノの「ファンタジア」、
レニャーニの「序奏、主題、変奏と終曲」を見て頂きました。
ルネッサンスと古典物ですが、リカルドはそれぞれのスタイルにも理解が深く、
それまでに感じることのあった疑問が一掃されました。
ミラーノは、全ての声部の強弱を完全にコントロールし、
特に音の始まりと解決が同時に出たときなど、
上声がクレッシェンド、下声がデクレッシェンドというのは、分かっていても難しいものです。
スケールなども、リュートの演奏法に則したニュアンスや、声楽的な音の扱いは大変素晴らしいものでした。
レニャーニも、古典的な音のニュアンスは素晴らしく、
速いパッセージも全ての音にスタッカートを付けるテクニックは目から鱗です。
普通では一生かかっても出来ないかも知れないことを、その場でやってしまうといった印象。
彼の弾くレニャーニは、ロッシーニのオペラを聞いているようでした。


2月23日(月)
バルセロナを拠点に、世界的な活躍をされているSさんのお宅にお伺いしました。
去年10月以来2度目でしたが、(前回はオリンピック村のレストランでパエリアをご馳走して下さいました。)
今回は曲を見てもらえるということで、
スペインの作曲家、M・ファリャの「ドビュッシー讃歌」を用意していきました。
音楽以外の様々なお話も貴重なものでしたが、
レッスンでは、弦楽カルテットやソプラノなど、
他楽器との豊富なアンサンブル経験から来る助言は大変勉強になりました。
正しくリズムを読み取りそれを表現する、正しくメロディーを読み取りそれを表現する。
言葉にすると一見当たり前のことですが、その本当の難しさを感じました。
ピアニストや指揮者など、ギタリスト以外の音楽家にもレッスンを受けるようアドバイスを頂きました。


2月21日(土)
あるカレンダーを部屋の壁に掛けていますが、それには先人達の残した名言が書かれていま す。
留学期間、これらの言葉を噛みしめようと日本から持って来たものです。
日が変わり、カレンダーをめくる度に頷かされるのですが、
その中から特に共感できるものをご紹介したいと思います。

「我以外みな我の師なり」 吉川英治(作家)
「誠実がなくなると商いはひからびる」 西田天香(一燈園生活創始者)
「腹底から出たものでなければ人を心から動かすことはできない」 ヨハン・ゲーテ(詩人・作家)
「良い仕事は無言の説得力を持っている」 松下幸之助(実業家)
「世の中で一番みにくい事は他人の生活をうらやむことである」 福沢諭吉(思想家・教育家)
「心は天国を作り出すことも地獄を作り出すこともできる」 ジョン・ミルトン(詩人)
「千里の道もひと足ずつはこぶなり」 宮本武蔵(剣豪)


2月16日(月)
毎週月曜日、「NOCHE DE IMPACTO」(衝撃の夜)という番組が放送されています。
観客席に突っ込むレーシングカー、防犯カメラが捕えた犯行現場の一部始終など様々ですが、
日本と違いそのまま流すこちらの映像は、心臓の縮まる思いです。
その中でも最も多いネタは、牛に関するものです。
闘牛やセビーリャのお祭りは有名ですが、
それ以外にも、牛を使って“遊ぶ”イベントは各地方でたくさんあるのではないでしょうか。
人が逃げ遅れてしつこく襲われている映像はエグすぎます。
牛のツノにたいまつを付け、集団で石を投げつけている場面などを見ると、
「この国にとって、牛とは一体何だろう?」と思ってしまいます。
闘牛は日本でいう相撲みたいなものでしょうか、よく放送されていますが、
1メートルはあろうかという剣を突き刺すシーンは見るに耐えません。
(何とかしてこれを止めさせる方法はないものか。)
スペインのイメージカラーといえば、赤を思い浮かべますが、
それは牛の血の色ではないでしょうか?


2月14日(土)
今日友人と、バル(飲み屋)を3軒ハシゴしました。
イタリアでは、イタリア人ギタリスト達と行きましたが、スペインでは初体験でした。
往年の名ギタリスト、ジュリアン・ブリームのビデオ、「
ギターラ、スペインギターの魅力」(20年近く前のものですが)に は、
スペインの都会や田園風景、そこに住む人々の姿が、
ブリームの素晴らしい演奏とともに、生き生きと写し出されています。
その1シーンに、バルがありました。
陽気に騒ぐ人々や、パイプタバコをくわえてビールを汲む店主の姿は、
ブリームのビデオの世界、そのままでした。
バルセロナは都会であることもあって、昔の景観は失われつつあると聞きました。
大通りや、カフェの建ち並ぶ様子は近代的ですが、
一歩入った路地や、人の気質は、まだまだスペインを感じさせると思います。
昔、映像で見た世界に実際足を踏み入れるというのは、とてもおもしろい体験です。


2月12日(木)
先日、パコ・デ・ルシアについて書きましたが、
僕にとって特別な存在であるのには理由があります。
ここで、1つ思い出話を綴ってみたいと思います。(DIARYではなくなっていますが。)
5,6年前、僕はギターをやめていました。
仕事をして、帰ってから他の勉強をするというような生活でした。
ある日、大阪フェスティバルホールでのパコ・デ・ルシア セクステットのコンサートを聴きに行ったのです。
パコを中心に、カンテ、フルートとサックス、ボンゴやパルマ(手拍子)などの打楽器、
ラウード、ベース、そしてバイレ(フラメンコダンサー)という編成でした。
演奏はあまりにも熱く、僕にとっては衝撃的なものでした。
音楽を聴いて涙が溢れたのは、初めての経験でした。
それ以来、どうしてももう一度ギターを弾きたい、ギタリストになりたい、という気持ちが抑えられなくなりました。
ギターに対しての愛着も日増しに強くなり、
弾きたいばかりに、仕事が終われば真っ先に帰り、夜中まで練習するという生活が数ヶ月続きました・・・。
あの時、パコのコンサートに行ってなければ、
今僕はギターを弾いていないかもしれない、と思うのです。
音楽というのは、「綺麗な音だ」とか、「いい音楽だ」ということも大切だけど、
もっと大きなものでありたいと思います。
人の人生を変えるほどのものでありたいと思います。
それがあるなら、汚い音でも何でもいいのかも知れない。
何かしら、強烈なものでありたいと思います。



2月8日(日)
こちらのテレビ番組では、たくさんの日本のマンガが放映されています。
正確な数は分かりませんが、20作近くはあるのではないでしょうか。
ドラゴンボール、クレヨンしんちゃん、名探偵コナン・・・etc。
孫悟空がスペイン語を話していたり、忍者ハットリ君がカタロニア語を話していたりします。
Dr.スランプアラレちゃんなどは、僕が子供のころに見ていたもので、とても懐かしく感じます。
最後の字幕に1980年などと出ていますが、そんなに時間がたつのですね。
僕が見ていたのは再放送なのでしょうか。
ふとそんな番組に出くわしたとき、
スペインという新しい環境と、子供のころの思い出とが入り混じった、
不思議な感覚にとらわれます。



2月3日(火)
ルティエールでリカルド・ガジェンのレッスンを受けました。
リカルドは現在若手を代表するトップギタリストです。
初めて会った印象は、ジェスチャーが大きく、とてもユニークなキャラクター。
午前10時半から12時半まで「悪魔の奇想曲」を見ていただきましたが、
内容は、技術的にも音楽的にも僕にとって大変新鮮なものでした。
特に左手に関しては、大きな収穫がありました。
スタッカートやフレーズごとに指を浮かせる押弦方は、脱力につながるとともに、
さっぱりしていてスペイン的な表情を感じました。
フレーズの途中でポジション移動しなければならない運指は極力排除します。
ギタリストがつい付けてしまいがちなアクセントを嫌い、
声楽的な、自然なフレーズの歌い始めと、終わり方を強調していました。
それにしても、ニュアンスを伝える為に歌ってくれる彼の声の何と美しいこと。
その歌声の中に、ヨーロッパ音楽の伝統を感じるのはなぜだろうか?
目の前で披露される超絶技巧はまさに圧倒的で、
フォルテとピアノの差を大きく付ける彼の演奏は、痛快で魅力的。
その後3名のレッスンも聴講し、約8時間リカルドの音楽を学ぶことができました。
他の生徒達もみんな彼のファンで、とても大きな刺激を受けることができました。

ちなみにこの日、パコ・デ・ルシアの新譜らしきCD「COSITAS BUENAS」を見つけました。
2003年とあるけれども、見たことがなく、日本では発売されていないのでしょうか。
ジャケットに写るパコは、ヒゲを長く伸ばし、老いを隠そうとしない様子で、男の美学を感じます。
ビデオなどで若い頃の姿を知っているだけに、
あの青年がこうなるのか、としみじみしたものがあります。
演奏ももちろん絶品で、若々しくエネルギッシュ。
録音状態も良く、今までのアルバムの中でも最高クラスの出来。
ギター以外にも、カンテ(歌)、ラウード(スペイン式のリュート)や
マンドリンも演奏し、そのバイタリティーは立派なものだと思います。
こんな風に年を取りたい、と思えるギタリストです。

homeback